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來住友美③活動の葛藤

将来日本語を使うかわからない生徒に、日本語を教えるという葛藤

高校での活動で大変だったことって何ですか。

うーん、何だろう。

たくさんあると思いますが、、、(笑)

いっぱいありますねー(笑)
特に大変だったことは2つあって、
1つ目がカウンターパートとうまく意思疎通ができなかったことですかね。

カウンターパートは高校の先生ですか。

そうです。(カウンターパートの)歳が私の親くらいだったので、
教師歴はすごく長いんですよ。

ベテラン教師だったわけですね。

そうなんですよ。しかも一人でずっとやってきていて。
あとは、タイの学校って異動とかってないみたいで、本当にその学校で、ずっとやってきたので、何十年とその学校で働いているんですよ。
だから、スタンスとか教え方とか確立されていて、提案とかしても、悪いようにはされなかったんですが、何も響かないというか、、、

向こうにプライドがありますよね。

それもあると思います。
だから、鉄の扉を拳でパンチしてるような、そんな感覚で。

面白い表現ですね。

だから、私、何しにタイに来たんだろうって思いましたね。
あと、もう一つは、日本語を教えることで私はこの子たちに何ができるんだろうってことは凄い考えましたね。

先ほどの話につながりますね。

そうです。ほとんどの子たちが日本語を必要としない中で、
何を一生懸命教えてるんだろうっていうのと。
でも、日本語教師として派遣されているので教えないといけないっていうのはずっと、葛藤みたいなものはありましたね。

生徒が前に進むきっかけの、種みたいなものを撒く

どうやって乗り越えたんですか。

正直、2年間やって、何もできなかったなって思うんですけど、、、
これから日本語を教える生徒たちに日本語を教えてどうなるんだろう、
っていうのは悩んでいて、最終的にたどり着いたのがこの子たちが日本語を話せるようになるっていうのが、私のできることじゃなくて。
日本語を使って、こういう世界があるんだなっていうのを知ってもらえればいいなと思えて。
私と話すことでもいいんですけど今じゃなくて、いつか彼らが、困った時とか、どっち向いていいかわからなくなった時に、ふっとそういえばあんな人いて、日本ってこんなことあるって言ってたなって、思い出してくれて。
前に進むきっかけの、種みたいなのを撒けたらいいなって思えるようになりました。

いいですね。

それからは、生徒に「テストでいい点取って!」とか、そういうのじゃなくて、
日本語を手段にして、コミュニケーションをとるようになって、
やっぱり生徒の中にも、日本語にすごく興味がある子から全くない子までいて。
興味の幅があったんですけど、
全然興味のなかった子が、なんかテストで0点とか取って(笑)。
解答を白紙とかで出すんですけど。
そこで突き放さないで、「じゃあさ、少しだけできるように頑張ろうよ」って言って、
一緒に復習とか、日本語でコミュニケーションとるようにしたら、
今まで目を見て話さなかったその子が、目を見て話してくれるようになって。
小さいことですけど、ちょっとずつ生徒と関係性が築けたかなって思いました。

生徒との集合写真

協力隊に参加して一番変わった考えや心の変化って何ですか。

海外もやっぱりいいなって思ったんですが、
タイですごくいろんな人にあったかく受け入れてもらって。
生かしてもらえたので、それを日本でもやりたいなって思うようになりました。

なるほど、今に繋がっていくんですね。

それまでは、日本で生きていこうなんて考えていなかったんですが、
日本人なのに日本が生き辛いって言って、
違う所に行って生きようとするってちょっと違うっていうのを感じて。
それまでは海外で生きたいって思ってましたが。

海外で生活したからこそ、国内に目が向いたんですね。

帰国後にフィリピンに行ったんですが、それは最後に未練があったというか。

④フィリピンでのインターンを経て、真鶴町へ移住

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